185系は今改正で定期運用が無くなり、以後は波動用として残るとのことです。
同系が登場したのは1981年で、私はといえば小学校4年生。 ちょうど鉄道に深入りし始める頃にあたり、あながち“同期生”と言える間柄かもしれません。
185系では、それまでの国鉄車両の概念を大きく覆す斬新な塗装と、
「特急にも普通列車にも使える」というイミフな効率的な運用をこなせる車内設備がミソでした。
交通公社時刻表1981年9月号の表紙写真では、白地に緑の斜めストライプを真横から海バックで捕らえた構図が、いまだに強烈に脳裏に焼きついています。
一方で乗車経験は少なく、特急としては「踊り子」1回、高崎・上越線系統で2回くらいのみ。あとは普通列車で10回ほど。
いつぞや上越線のSL撮影帰りに、鉄道写真の大先輩お二方から「特急のグリーン車で帰ろうぜ」とお誘いを受けたことがありました。
しかし発車まで1時間近くあり、その間に先発する普電を乗り継いでいくと上野に先着できてしまうこと、 そもそも当時は目黒区に住んでいて大宮から埼京線に乗り換えた方が早いことから、不躾にもお断りしてしまいました。
特急が先発とか、せめて上野に先着するならお誘いに乗ったかもしれませんが、それなりに堅実な判断をしてしまった当時の自分には苦笑するのみです。
2019年7月には、汽車・電車1971〜の TADAさんからお誘いいただき、 地元貨物線の新金線を185系で初乗車したのが、図らずも良い思い出になりました。
たぶんこれが、私とってのお別れ乗車になりそうです。
デゴイチよく走る! > 緑の草子
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