・100年に一度の金融危機 ・100年に一度の不況 ・100年に一度の危機 ・100年に一度の不景気 ・100年に一度の金融危機から資産を守る方法 ・100年に一度の暴風雨 ・100年に一度の大恐慌 ・100年に一度の金融危機から資産を守る方法 「レバレッジ」経済を生んだ金融商品を設計した元外資系金融マンが書いた 世界経済新時代の資産運用 ・100年に一度の機器
最後の「100年に一度の機器」ってのは笑ってスルーするとして、みごとにマイナス志向の文面ばかり。 ですが、私のような元来から不景気な店は、もうこれ以上、落ちようがないので、 昨今の不景気・不況は、実はあまり感じていないのが正直なところではあります。 強いて言えば、米ドルを円に換えて入ってくるお金が(こんな店でも)毎月あって、 その額が目減りしている点で、円高の影響なら実感しています。
ところで何を根拠に「100年に一度」という数値が弾き出されたのでしょうか。すこし屁理屈的に検証してみたいと思います。 統計なのか? 確率なのか? 言い出しっぺは誰なのか?
統計だとすれば、過去100年間のうちで、今がもっとも悪いということになります。 本当にそうでしょうか。 100年前すなわち1909年は明治42年。googleで検索すると、 「伊藤博文暗殺」などという文字が見られます。 そんな時代からのちに第二次世界大戦を迎え、1945年に日本は敗戦国となりますが、 杓子定規に解釈すれば、終戦直後は現代よりはマシな世の中だったことになります。
「100年に一度」の文言は、どうやらアメリカから出てきたようで、それを聞いた日本人そして日本のマスメディアが、 検証もせずに真似して使い始め、広まった可能性が考えられます。 しかし、アメリカの統計は日本では通用しないはずです。 なぜなら終戦直後は、片や戦勝国、片や敗戦国。 両者が同じ景気であるはずがないからです。
一方「100年に一度」が確率論だとすると、今を乗り越えれば、 向こう100年間は、安泰とはいかなくとも危機的状況は訪れないことになります。 これも疑問です。 今が本当にどん底なのでしょうか。「今が一番悪い」と自己暗示をかけることで、現実から目を背け、 根拠もなしに未来を楽観視していることにならないでしょうか。
1979年、大阪の三菱銀行で銃を持った男が立てこもる事件がありました (Wikipedia)。 当時、私は小学生で、テレビは(お約束のNHK教育を除く)どの局も朝から晩までこの事件を報道していたのをよく覚えています。 そして今流行の言葉を借りて表現すれば「こんな残虐な事件は100年に一度しか起きないだろう」くらいの強烈なインパクトがありました。
しかしどうでしょう。その後、三菱銀行人質事件を上回る非道・残忍、理解しがたい猟奇的事件が続々発生しています。
つまり当時では想定すらできないひどい事件が次々に発生しているわけです。 これを経済に置き換えてみると、今は想定すらできないもっとひどい状況が、 そう遠くない未来にやってくることもありうるのではないでしょうか。 |
「今」を悪い時代であると評価するのは、一見、日本人特有の控えめで謙虚なように思えますが、 実は謙虚でも何でもない、現実逃避をしているにすぎません。
言い方を変えれば、今が一番悪いと決めつけて、開き直って安心しているかのような現状。 どうせ何をやってもダメなんだからと、何もしようとしない人々。 しばらく身を潜めていれば、何もせずとも自動的に明るい時代がやってくると、根拠もなく思っている世の中。 これは経済危機そのものよりも、別の意味で危機的状況にあると思います。
今はまだ、これでもマシな状況なんですよ。「どうせ、どん底だ」と諦めてはいけない。どん底はもっと下の方にある。
むろん・・・ここに述べたことは屁理屈です。 その時代には、その時代に応じた生活水準があります。 終戦後の混乱期は電車に乗れるだけで良かった。電車が走れば良かった。 今は乗れるのは当たり前で、冷房だクロスシートだ何だと要求レベルが高くなっています。 電車の窓ガラスにヒビが入ればウヤ。車体に落書きされただけでウヤ(落書きを奨励しているわけではありません)。 それでも、昔より今の方が悪い、と言わんばかり。
その時代に本来あるべき生活レベルと、現実との乖離度の比較なら、また違った結果になるのかも知れませんけどね。
デゴイチよく走る! > 緑の草子
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