快晴の本日、秩父のC58開幕に行ってまいりました。
スギ花粉の多さには往生しましたが、今年は春からC58の汽笛を
聞くことができ、嬉しい限りです。快晴のコンディションの下、
楽しく撮影ができました。さっそく弊サイトにアップいたしましたので
お時間がございましたら、お立ち寄りください。
早春の秩父へ出かけて来ました。
本運転初日の今日は、風が強かったものの天気はよく、日章旗ドカン日和。
渋いグリーンのナンバープレートと派手なオレンジのヘッドマークは、何と
言ったらよいのでしょうか。
下り 中川ー日野 直線 陽炎&ドカン
上り 長瀞の鉄橋 真横アップ 日章旗ちらり狙い
寄居 出発ドカン
試レ初日にも出かけましたが、2003年試レの時と同じように、武甲山
とその奥の山々には、残雪を見ることができました。
この2003年といえば、春の大雪(4/5)があった年で、このとき、偶然
にも撮影に出かけており、C58の雪中走行を映像に収めることができました。
今年は春の降雪があるのでしょうか?
こんにちは。
JR東日本のHPによりますと、3月25日の16時頃より上下線を使った複線での運転を再開すると発表されています。
これにより、運休されていた夜行列車も運転を再開(とりあえず4月10日まで)すると発表されています。
また、JR貨物からは、上越線複線運転の再開により、迂回運転は24日で終了すると発表されています。
少しずつですが、中越地震からの復興に向けて、着実に歩んでいるようです。
マーク無しスノープロウ付き雪中と三拍子そろったC57を撮影してきました。
只見SLのウヤで混むと思いましたが
私が見た限りでは、それほどではありませんでした。
少ないですが、UPしましたので宜しければご覧下さい。
My HPに、懐かしの七尾線画像をupしました。
宣伝モードで恐縮ですが、よろしければお立ち寄りください。
氷結ライム様
回答にはなりませんが、NECに在職中に一時期上司でもあった斉藤雅男氏(元国鉄の初代新幹線運転車両部長・鉄道ジャーナル誌で長期に渉り「鉄道とともに50年」の執筆者)から聞いた話に、「全検出場直後でも入庫前と同じ個所の調子の良くないことがある。メカのかたまりあるSLには固有の不思議なくせがある。」とのことでした。そう云えば動力車の配置替えのときには調子の良くないカマが当該機関区から追い出され、次の機関区でもなじめず、同じカマが次々と転籍していったケースが多々見受けられました。(私見:エレキ中心の現在の車両でもこの転籍傾向が見られるようですが、如何でしょうか)
>>氷結ライムさん
こんにちは。C62 2に限らず蒸気機関車は使用状況・環境によって調子
は一変するようですね。自分の聞いた話だとC62 2は東海道時代は装飾
が施されるくらいの名機であったが渡道後に調子が悪くなったと聞いて
おります。現在活躍中の保存機ではC57 1が新津機関区時代末期、かな
り調子が悪かったと当時の乗務経験者の方から聞いております。乗務
割当で1号機が当たると憂鬱になるくらい蒸気の上がりが悪い・火が
保てないetcといった具合だったそうです。
皆様こんばんは
只見の土砂崩れは本当に残念ですね。
私も試運転に行こうかと思っていました。
けど、地元の方々は大変な思いなんですよね。
一日も早い復旧を祈っています。
で、試運転に行こうと会社を2日間も休みを取ってしまい
かといって会社に行くのもシャクなので、先日撮影した廃止間際の日立電鉄のスナップショットをサイトにアップしました。
非煙ネタですが、箸休めによろしかったらご覧ください。
SL只見が中止となり、試運転撮影ご一行がどっと磐西試運転に流れてきたような状況でした。
ヘッドマークなしでの雪中走行は素晴らしいです。日出谷に響く汽笛も最高でした。
週末は「村上ひな街道」ですね。
こんばんは、ちょっと雑ネタでお邪魔いたします。
スワロ-エンゼル・・・、言わずと知れたC62型2号機ですが、
北海道C62末期、小樽築港に所属するC62の中で2号機は一番調子が悪く、乗務員と検修から不評を買っていた・・・、という記事を読み、てっきり北海道での酷使により2号機は調子を崩していったものと思っておりました。
(じゃあ、他の号機はなんなんだ?と言われそう・・・)
ところが、東海道時代からあまり調子の良い機関車ではなかった・・・、という記事を目にし、いくつかの「?」が浮かんできました。
東海道時代の所属区(宮原?)、もしくは担当検修区は何故、あまり調子の良くない2号機にツバメマ-クを取り付けたのか?
普通、あのような装飾は機関区きっての好調機に施すものではないのか?
それとも、ツバメマ-クを取り付けた頃は好調機だったものの、その後調子を落とす何か(運転ミス、検修ミス)があったのか?
スタ-機関車でありながら北海道への転属は、特急牽引機失格の烙印を押されての、いわば厄介払いだったのか?
その後、いく度かの全般検査やボイラ-張替え工事をもってしても
“あまり調子の良くない機関車”のレッテルを剥がすことは出来なかったのか?
こんな時期に、こんな雑ネタで恐縮なのですが、私のような無知な素人には考えるほどに興味深いものがあります。
長文で失礼しました。