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68. 498のバック
[スーパーあさひ店] 2013-02-22(金)11:22

磐西の新津ー津川でもやってるはずです。
あの時に管理人サン、スゴイ写真を撮られてまして、それがバックでした。
インターネットがない頃で、紙焼を見せていただいて絶句しました。撮ろうと思って撮れるモンじゃない。

PS また一緒にワイワイやりたいですね


67. 伯備線D51のバック運転
[D51657] 2013-02-22(金)10:46
http://www.apionet.or.jp/DF5051/hakubikamotsu.htm

このHNでは初めての書込みです。よろしくお願いいたします。
KATOさんの「石灰貨物列車セット」で40年以上前を思い出した、「布原D51三重連」の布原でも、新見発足立行・D51のバック運転が見られました。三重連の布原信号場出発が9時17分。その約1時間ほど前の8時2分に781列車(足立行・D51バック運転)が通過していましたので、当時布原に行かれた方は、ご記憶の方も多いと思います(13時台に布原で見られた、783列車も同様の運転でした)。
もちろんD51三重連が”白眉”の存在でしたが、三重連末期に見られた、「DD54+次D51/上り貨物列車」および伯備線完全無煙化前の半年間だけ見られた、「DD51+次D51/上り貨物列車」とともに「後藤式集煙装置付重装備D51のバック運転」は、”なかなか見られない、珍しいシーン”という事で私は今も印象に残っています。

●余談ですが、伯備線新見⇔生山間では谷田峠越えのため、牽引重量が330トンを超えると補機が付いていましたが、生山駅にD51用の転車台がなかった関係で、下り貨物列車の補機が逆向きで「D51+貨車+逆後D51」の編成でした。

●PRで恐縮です。D51の画像はD51三重連の消えた後のものしかありませんが、その「逆後D51」の画像がありますので、私のところの「小史」をご紹介させていただきます。

●「現役時代のSLのバック運転」に関する記述があります。キネマ旬報社刊「蒸気機関車」誌・昭和47年3月号・D51特集・「D51の性能(故久保田博氏ご執筆)」において、”テンダ機関車のバック運転時の速度はD51も含めて、すべての形式が毎時45キロに制限されている”とあります。今も昔もこれは変わっていないようですね。


66. バック運転
[NY] 2013-02-22(金)06:01

もう20年以上前ですが、復活蒸気でものと鉄道になる以前の七尾線で、C57 1とC56 160の重連でのバック運転があったと記憶しています。余談ですが。


65. バック運転続き
[C5755サクラ] 2013-02-22(金)01:05

(現在のことは、全く疎いのですが)制限45キロの話題となれば思いだすのは旧尾久客車区〜上野駅間の客車推進運転ですね。
先頭客車のデッキに機関士さんが陣取り簡易運転装置?を操るというまではないようですが、正式名はしりません。警笛と制動は掛けられるとか、あのグーリーン色?のボックスですね!
プファ〜♪と別名ラッパ屋さんと呼ばれていたとか、現在の北海道寝台列車とかは、どうのようなんですかね!すっかり鉄知識に疎くなってしまいまして・・・。


64. 以前は通っていました
[前進型蒸気機関車] 2013-02-21(木)23:26

私が知っているのは、四半世紀近く以前の話になりますが、大井川のC56の上り列車がまれにバック運転になることがあって、35Kmだったか45Kmだったか正確なスピードは忘れましたが、直接機関士さんから規則でそれ以上出せないんだ。と伺った事がありました。

「C5755サクラ」さんの御回答によると、「C55大好き 」さんも仰られていますが、復元後すぐにJRの所属ではなくなっていたんですね。という事は、高崎の区名札はまぁ洒落かなんかそんな所だったんですね。お教え頂きありがとうございました。


63. バック運転
[しごまる] 2013-02-21(木)22:32

テンダー機関車のバック運転の話が見られましたので、話に加わらせて
もらいました。

SL現役時代は、よくバック走行を見ることもありましたが、記憶では
復活運転の時代になってから、テンダー機関車のバック走行は、時速
45Kmの速度制限となっているはずです。


62. なるほど
[C55大好き] 2013-02-21(木)22:03

C5755サクラさん、ありがとうございます。
ウィキペディアは凄いですねえ。
ということは、復元完了後数日でJRから振興財団へ移ったわけですか。
で、12年ほど振興財団所属で、2〜3年程度秩父市所属で2003年から秩父鉄道所属というわけですね。
秩父鉄道のHPでは、2003年から自主運行という表現になっています。

ちなみに前進型蒸気機関車さん、大井川のC12(日本ナショナルトラスト所属)は、ATS未搭載です。
日本ナショナルトラストのHPで、ATS搭載と整備費用の寄付を募っていますよ。

さて、心に残るテンダー車のバック運転は、
関西本線の湊町(現JR難波)駅から百済(現JR貨物百済駅)駅へ向かう、D51の3重蓮の回送です。
湊町駅まで貨物を牽引したD51が、3台連なってバック運転で百済駅へ回送されてました。
それも朝の8時ごろに。
通勤客でいっぱいの天王寺駅をD513重蓮がバック運転で爆走しながら通過していく姿は、いまでも脳裏に焼きついています。
残念ながら、走行中の写真は無く、百済駅到着後の写真しか残っていませんが。


61. 秩父のC58ウイキペディアの抜粋です
[C5755サクラ] 2013-02-21(木)17:42

埼玉県北足立郡吹上町立(現在の鴻巣市立)吹上小学校に展示されていた。
廃車から15年後の1987年3月6日に、翌年に開催された'88さいたま博覧会の観光の目玉として復活する事が決定し、車籍が復活。国鉄大宮工場や大阪府のサッパボイラでの復元工事を終えて同年12月26日に移管。
国鉄分割民営化直前の同年3月26日に高崎運転所(現:高崎車両センター)に配置された。そのまま東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継されたが、同年12月28日付けでJR東日本から除籍され、動態保存を行う秩父鉄道に移籍、1988年3月から同鉄道秩父本線熊谷駅 - 三峰口駅間で「パレオエクスプレス」として運転を開始した。

当初は埼玉県北部観光振興財団の所有であったが同財団が解散したため、一時的に秩父市が所有した後、2003年からは秩父鉄道の直接所有となっている。以前はJR東日本の線区でも走行することもあり、上越線ではD51 498と重連運転をすることもあった。しかし、現在はJR東日本の直接所有ではないことや、ATS-Psなど最新の保安装置が未搭載となっているなどもあり、近年はJR東日本の線区で同機が運転される機会は滅多にない。ただし、定期検査はJR東日本高崎車両センター、重要部検査ならびに全般検査は大宮総合車両センターに委託しており、同機が試運転される際には上越線高崎駅 - 渋川駅・水上駅を走行している。

2012年4月4日、上越線での試験走行中に敷島駅 - 津久田駅間で故障停止した。自力走行は不可能と判断され、ディーゼル機関車による救援列車が手配された[11]。なお、同9日までには秩父鉄道での試運転に復帰し、21日には予定通りに秩父鉄道での運行を始めた。

しかし、2012年8月6日午前9時32分頃、広瀬川原車両基地において入れ替え中に脱線した。車軸が折れたり車輪が歪むなど損傷が大きく、各部の点検整備や、復旧時に切り離したテンダー車との再結合などを含んだ車体の組立作業に約半年かかるため、秩父鉄道では2012年度に予定されていた今後のSL運行を全てEL運行に変更し、当機は2013年3月までに整備・運行再開すると報道された。


60. 記憶に残るテンダーのカマ、バック運転
[C5755サクラ] 2013-02-21(木)11:29

SL現役時代は、短区間を含め結構ありましたね。
呉線ではC62の逆行運転客レ、近場では八高線のD51、9600の
貨物や、越中島貨物線のD51貨物、もっと前だと赤羽線(当時)板橋までのD51貨物とか結構ありましたね。
北九州では、後藤寺線か田川線か記憶がハッキリしませんが、9600重連(二機とも)逆行石灰貨物とか思いだしました!


59. 「C55大好き」さんふたたび
[前進型蒸気機関車] 2013-02-21(木)01:26

あーなるほど。ATSの関係はあるのかもしれませんね。たしか大井川のC12ってそれで走れなくなったんでしたっけ。また、NO58の方の御回答の機関車の軸重の問題はそうでしょうね。

テンダー機関車のバック運転は、記憶に間違いが無ければ、たしか、水郡線D51であったかと・・・・。
でも、勿論自分を含めて、いくら好きなことでも、ちょいと前のことだとうっかり忘れますよネェ。(苦笑)


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