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お別れスイッチバック号 [3/3]
1990年8月31日
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板谷峠のスイッチバックが今日で見納め。14系「津軽」最終列車も押さえつつ、EF71+ED78「お別れスイッチバック号」を松川鉄橋で捉える。

EF713 50系客車 板谷
■1990-8-31(金) 板谷 [14:17-28] 431列車 EF713+50系客車
「つばさ11号」を待避するため11分停車。にわか撮影会と相成ります

下り「お別れスイッチバック号」を撮影し、はや帰宅の途につきます。が、上り列車まで時間があるため、いったん下り431列車 [赤岩14:06→板谷14:17] で板谷まで行ってみました。

ダイヤを見る限り、大沢まで行って戻るだけの充分な余裕がありますが、431列車はこの先、「お別れスイッチバック号」とスジが競合していて時変がかかっていたはずですので、安全を見たのかもしれません。

431列車で板谷に着くと、特急待避で停車時間が長く、乗客がわらわら降りてきて“にわか撮影会”の様相です。

EF713 50系客車 板谷
■1990-8-31(金) 板谷 [14:17-28] 431列車 EF713+50系客車

485系 つばさ14号 板谷
■1990-8-31(金) 板谷 [14:51通過] 34M 特急「つばさ14号」 (431列車を抜かしたのとは違う列車)

ED786 板谷
■1990-8-31(金) 板谷 [15:18-18] 428列車 ED786

ED786 板谷
■1990-8-31(金) 板谷 [15:18-18] 428列車 ED786+50系客車
私はこの列車に乗って帰ります。板谷駅での上り列車は、到着時は本線から直にホームに入ってきますが、発車するときはバックして突っ込み線に入り、それから本線に出ます

板谷駅 駅名標
■1990-8-31(金) 板谷駅

板谷 給水塔
■1990-8-31(金) 板谷駅

帰りは、また普通列車を乗り継いできました。
だんだん要領も分かってきて、たとえば黒磯での乗換。

上り列車では先頭車に乗っておくと、黒磯での乗換階段にもっとも近いわけなのですが、しかし黒磯から先(以南)は列車本数が増える上に編成も長いので、粋がって「乗換レース」などに参加しなくても、まず座れるわけです。ですので、黒磯までの普通列車は、敢えて後ろの方の車輌 (前方より空いている) に乗ったりしました。

もっとも、これが下り列車の場合は全く話は別で、長い編成の列車2〜3本分の乗客を、編成の短い1本の列車が受けるわけですから、気合いを入れて乗換階段を駆け登らねばいけません。

こうした経験は、のちに毎冬運転された「SL磐梯会津路号」の撮影時にも受け継がれ、郡山から新幹線ではなく、在来線の普通列車で帰ることがほとんどでした。月曜日の仕事は夜からですので、慌てて帰る必要もありませんしね。

私が板谷峠へ撮影に行ったのは、ミト座「竿灯」に次いで、この「お別れスイッチバック号」で三度目。狭軌時代の板谷峠に「かろうじて間にあった」といったところです。

以後、列車に乗って板谷峠を通ったことは何度かありますが、撮影にはこの時以来、行っていません。

2013.5.17 (終)

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往きは 129Mに乗ったという、動かぬ証拠。無人駅から乗ったわけではありませんが、東京の駅でも早朝は改札係が別の用事をしていて無人状態になっていたり、あるいは窓口が混雑していたので定期券で改札を入ってしまったか (自動改札ではない時代)。
帰りは、推定で-(428)-福島-(144M)-黒磯-(672M)-上野(福島では、1本早い 1124Mにも乗れますが、矢吹行なので見送ったはず)

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