常紋(じょうもん)。言葉の響きもいいですね。私は、現役蒸機晩年の時、一度だけ撮影したことがあります。補機は9600ではありませんでしたが、連続Sカーブの中、まっすぐな煙を立ち上げゆっくりと峠を登ってくる。ドラフトは周囲の山々に反響。あまりにも凄いドラマに感動し、ぶるぶる震えた覚えがあります。願わくば、もう一度この常紋峠に蒸機を。
ちなみに、RM誌の名取氏は、高校時代の一つ上の先輩にあたり、氏は当時から鉄道の見識は広く、その才能を編集長として今RM誌で発揮されています。
さて、話かわりますが、この週末皆さんは、釜石それとも左沢の準備でしょうか? 後日、皆さんからの報告をお待ちしております。私はいつもと同じく磐西(郡山通し)でした。26日(土)は、曇り午前一時雨、気温20℃前後のため、煙はスカにはならず、非電化区間では、けっこうもくもく煙がありました。電化区間はかろうじての白煙。補機は若松ー郡山全区間。両区間ともダイヤどおりの運行。撮影者は少なめの1日でした。
4・5・6月は磐西のみの撮影行で、撮りだめしたビデオを今まとめているところですが、7月には何らかの形で公開したいと考えているところです。
私の乗った遠軽行き客レはDD51が3両の客車を引き連れて常紋信号所への道を、ゆっくりとした足取りで上っていきました。やがて辿り着いた常紋信号所では列車交換の為停車して下り客レを待ちました。少し遅れてやってきた下りの客レは私の乗った上り列車に寄り添う様に停車し、丁度、私の座った席の窓は、下り列車の乗った小学4、5年生とおぼしき少女二人が座った席の窓に合いました。そこで私は窓にレンズを向けて、少女二人を撮るマネをしました。それに気付いた二人はにっこり笑い、次ぎに持っていたカバンの中から青リンゴを取り出し、窓を開けてリンゴを持った腕を私に向って差し出しました。私も大急ぎで窓を開け、差し出されたリンゴを受け取りました。今度こそ、本当に撮ろうと思った時に、ガクンと大きな揺れがあって、私の乗った列車は動き出してしまい、結局、彼女らを撮る事は出来ませんでした。あの時シャッターを押していたならば、良い写真が撮れたのはと今でも思い出します。常紋峠には、そんな思い出が有ります。もう30年以上も前の峠の出来事です。燕号でした。
私も、ちょこっと常紋の思い出を・・・・。
私が、常紋を訪れた時にはすでに補機はDE10になっておりました。お正月、網走からのキハに揺られて常紋信号所に到着、荷物を持って下車しましたが、信号所の職員から本日のSLはウヤ!と教えていただき、あたふたと元の気動車に乗車したことが昨日のようです。と、言うわけでここでの蒸気機関車の撮影をしたことはありません。今思えばもう少し網走に滞在していればと思いましたが、今となってはあとのまつりですね。それでもここの蒸気の思い出としては、大晦日、札幌から網走へ向かう急行大雪の車中から、上川停車中の網走行き普通列車を見た時に思わず乗り換えてしまいました。何しろ札幌から立ちっぱなし、乗り換えてワンボックスを占領して、のんびりと網走へ。この列車は1529列車、遠軽からD51が北見までエスコートする列車でした。常紋峠を通過するコロはすでに暗闇の中でしたが、スハフ32の車内からD51のドラフトを聞きながらの旅は、今となっては贅沢なお話ですね。
ここでの撮影は、キハ82系最終の頃、特急おおとりを撮影したのが最初で最後でした。
ポレポレ東中野に出かけて「すばらしい蒸気機関車」を見てきました。観客はたったの6人でした。昭和44年当時の映像ですが、今見ても遜色なく大変美しい仕上がりです。欲をいえば、西日本の映像が多く(監督が京都在住だから?)北海道の映像が無かったのは残念です。有名な撮影地の映像は非常に少なく、布原信号場と大畑ぐらいでして、ほとんどの画像は名の無い撮影地と思います。ですから見覚えの無い映像ばかりでして新鮮でした。映画館はガラガラですのでぜひ皆さんご覧ください。
23日と24日にSL銀河ドリーム号の試運転を撮りに行ってきました。
デジタルカメラで撮った分をUPしました。
お立ち寄りいただければ幸いです。
宣伝モードで恐縮します。
>ごじゃP様
定点カメラ?(No.582 583 587)の写真で見る限り、今も昔も大きな変化はないようですね。常紋からSLが消えた時、私は小学校の高学年。当然このポイントでSLを撮ってみたいと思った時は、すでにDLの世界となっていました。
一度はこの場所に立ってみたいとは思ったものの、なにせ遠方で・・・・・。2002年に乗り鉄で常紋を通った際じっくりと観察。今は廃止となった引き込み線と本線の間の斜面には雑木が育ち、No.582のような写真はもう望めないのかなと思ってました。No.586の写真を見るとスッキリとした印象。後に雑木を整理したのかもしれませんね。
すみません、ごじゃPです。
先ほどの伝言板のURLでは開けないようですので、ここから「TEST掲示板」へとお入りください。
http://artdenta.hp.infoseek.co.jp/
常磐線さま
先々週、北見への出張にひっかけて30年ぶりに常紋を訪ねてきました。
エゾハルゼミの蝉時雨以外に音はなく、懐かしい、というよりもなんだか「兵どもが夢のあと・・・」といった風情でした。
季節列車でDD51重連が走る時は賑わっているようですが、今の季節は週末にもかかわらず訪れる人もなく、思いに耽るには十分な静寂ぶりでしたよ。
ほとんど仲間内の伝言板に、30年前の3月と、先々週の常紋について書き込んでありますので、お時間ご興味がおありでしたら中学時代に現役蒸機を一緒に追っかけた、この↓友人のサイトを訪ねてみてください。
http://artdenta.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/joyful/joyful.cgi
せめてさよなら運転は571に引いていただきたいものです。・・というより。国賓をお招きして花道を飾って欲しいものですね。是非、鉄なスエーデン国王陛下をお招きして。・・愛子様は1号にご乗車いただきないのが残念!
EF5861は完全にイベント用となってしまうのでしょうか?
永久保存が決まっているものの、これを機に、寿命が短くならないことを祈るばかりです。
相次ぐ客車列車廃止の流れはついに1号編成まで及んでしまったわけですね。
気が付いたら、北斗星系統とSL牽引列車以外はJR東からすべて客車列車が無くなっていたりして。
西の方では、客車「出雲」廃止の噂も聞こえます。ほんとに、さびしい限りです。
車両の特殊性から、お召し引退記念の運行は難しいと思いますが、歴史的に見ても重要な車両の最後の花道を、何らかの形で飾ってほしいものです。