日曜の夜は、三陸鉄道のT氏と共にNHKアーカイブスを観ました。
本物の福島臨海鉄道に蒸気機関車を走らせられないか検討しましたが、
「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の
促進に関する法律」及び「動力車操縦者運転免許に関する省令」に
より無理なようです。『技能』の伝承がありません。
なお、6日以下の時刻で臨海鉄道に気動車が走ります。(花火大会
延期時は7日)
臨気101D 臨気103D 臨気105D 臨気107D
泉 15:25 16:43 18:10 21:27
小名浜15:37 16:55 18:22 21:39
同109D
22:18
22:30
臨気108D 臨気110D 臨気102D 臨気104D
小名浜16:10 17:38 21:05 21:52
泉 16:22 17:50 21:17 22:04
同106D
22:45
22:57
なお、同鉄道では本社におひとりしか要員がおりませんので直接の
ご照会はご遠慮願いたいとは同鉄道OB会長の父の弁です。
9月運転の秋田・湯沢間一往復する奥羽路号。時刻表に運転時刻も明示されましたね。朝早めの秋田発、夕方遅めの秋田着。湯沢での停車時間が5時間!
下りの場合、秋田発の時刻から推察すると、今回もまた「こまち8号」との併走の可能性がありそうですね。
湯沢での停車時間の長さから推察できることといえば、湯沢での方向転換が不可能なため、DLによって、横手までの回送がありそうです。
DE10一両で十分なのでしょうが、ファンとして心配なのは、横手発の段階で客車にぶら下がってくるのでは? という点。
俯瞰撮影には厳しいかも。沿線の宿泊情報等は追ってお知らせしますね。
よく走るさん、8年ぶりに秋田でご一緒しませんか。待ってますよ。
なつかしい話題〜で疑問も解決し、また、あいまいな記憶も修正できて良かったです。m(. .)m ※もうひとつ疑問が...? 梅小路のD51200ですが、製造当初、テンダーは8-20Aで、台車は鋳工製であり、中央西線晩年も写真集などで見る限り8-20Aですが、現在(少なくとも入館時より)D51標準スタイルではもっとも多い8-20B(組み立て式板台車)に振り変わっております。私は、S47.8に撮影しましたが
足回りが夏草に隠れて確認できません。憶測の域を脱しませんが、D51200が選定されたものの、両数の多い標準スタイルに合わせるため、有識者の助言で意図的に振り替えを実施したのではないかとの疑問を抱いております。単なる偶然でしょうか?>>>文献等見ないで書き込んだ為、TR-???等、正式名称省きました事、お許しください。
(P.S)梅小路と言えば、D52468の舵型煙室扉ハンドルがC621の丸穴タイプのハンドルと振り返られてしまいました。元に戻してほしいと願うのは私一人でしょうか?それから、開館1年前の記録映画撮影時より居座るC551,晩年が山陰(浜田)のD511の煙室扉ハンドルがC5345と同様の鷹取タイプ(?)→四方の先端に球が付いているタイプに振り変わっているのも、個人的に気になります。長文失礼しました。
会津のけむり様、詳細ありがとうございます。44のものでしたか。これで友人との議論に終止符を打てそうです。
お願いした情報以外にもいろいろとすみません。関東在住なのに静岡まですらなかなか行けない悲しき財政なので、C5644などのものも気になっていたのですが行けずに友人ともども想像で我慢する日々でした。本当にありがとうございます。
文様。
C6215の動輪が東京駅に保存された時に刻印がC6244だったのでファンの間で一時話題になったと聞いた事があります、国鉄側はこの動輪はC6215が最後に履いていた動輪で、C6244が使っていた時代もあったと説明したそうです。
C6244の動輪→C6215に流用
C6232の動輪→C6216に流用
タイヤが減っているので苗穂工場で動輪ごと交換したのが真相のようですが、当時はこのような事はあたりまえに行われていたようです。
古い話では交通科学館に保存されている義経号ですが。
台枠・動輪は信広号の物ですし、テンダにいたっては創り物で、弁慶号、しずか号のテンダとはサイズが違います。
面白い話では出征したC5644号には11個の刻印がありました。
戦地で修理した時に部品を食い合った結果か、現地で組み立てる時に間違ったかしりませんが、同じ部品を流用する事が良くあったという事でしょう。
ちなみに帰国した時、第一動輪はC567、第2動輪はC5646,第3動輪はC5620でしたが、帰国後の全般検査時に、タイヤがへっていたのですべてC1293の動輪に交換されました。
ようするに、昔から同じ規格であれば他の部品を流用し、全般検査を敏速に終え、速く出場させる事を優先させていた時代があったという事でしょう。
そのために、国鉄工場の引き込み線には部品取り用の機関車がいっぱい留置されていた時代があったようです。
特に明治期の輸入機の場合は、最後の1両が廃車になるまで解体されずに残されていたため、貴重な写真が戦後に撮影されております。
煙ネタでなくてすみません。
奥多摩駅から小河内ダムまで、江戸期の古い街道が「奥多摩むかしみち」として遊歩道になっているのですが、この道がほぼ廃線跡の近辺を辿っています。小河内ダムに近い場所では、道が一部崩落していて通行不能なのですが、この迂回ルートとして線路が利用されています。トンネルの中も電灯がついていて歩くことができます。貨物列車にはC11 が使われていたようですが、トンネルの壁面には煤の汚れは殆ど見当たりませんでした。
ところで、小河内線は水根線とも言うようです。
SL牽引は高崎-水上・D51498・12系6両
営業運転 6・ 7・13・14・20・21・27・28日
訓練運転 1・11・12・16・23〜25・29・30日(運行されない場合もあります)
SLメイト号(団臨)4・ 5・18・19日(運行されない場合もあります)
常磐線様、情報ありがとうございます。常磐線様、D51549様、では保存されているのはタイヤが32、輪心及びロッドが15のもの、ということになるのかもしれないですね。そこでですが、タイヤ部分には車番は彫られていたでしょうか。何度もお聞きして申し訳ないのですが、お教えしていただければ幸いです。
初歩的質問ですが、
4日(木)・5日(金)に団体専用D51が奥利根の筋で走るそうですが、本当ですか?
タカシ様 早速の情報ありがとうございます。番組では残念ながら本物の蒸気走らせる事は出来きず 電動のSLでしたよね。せめてもの救いは本物の汽笛を使った事でしょうか 確信は出来ませんがきっとC58の物ですね あのような趣味ハマリそうです。 是非やってみたいです。