■1982-11-14(日) 上野[16] 1027M (上野19:00→仙台23:15) 485系 特急「ひばり27号」 下り最終列車
今改正で見納めとなる特急のうち、特に運転本数が多かった「ひばり」「とき」は、最終列車をさよなら列車として車両に装飾が施されました。
最終となるのは、「ひばり27号」19:00発、「とき27号」19:19発。
「ひばり27号」が発車する16番線と、向かいの15番線ホームは溢れんばかりの人人人・・・
それでもほぼ定刻に発車していった気がします。
そして次は「とき27号」です。高崎線系統が発車する高架ホームへ向かうも、ちょい待てよ。
なんか、お知らせ出てる・・・
■1982-11-14(日) 上野[14] 583系 特急「はつかり」
車種・番線からすると 18:09着「はつかり6号」(着後の引上げ待ち)が該当しそうですが、1時間も停まってるものかな?
■1982-11-14(日) 上野[6] 2915M (上野19:23→前橋21:08/水上21:59) 165系 急行「あかぎ5号/ゆけむり11号」
■1982-11-14(日) 上野[7] 2027M (上野19:19→新潟23:00) 特急「とき27号」 入線シーン?
当時の時刻表を見る限り「とき27号」は上り列車の折り返しではなく、回送で入線してくるようです
清水トンネル内の架線故障により、上越線からの列車は最大2時間遅れている旨、そして最終の「とき27号」は30分程度遅れる見込みとのお知らせが出ていました。
「とき27号」が30分遅れで収まる理由は、折り返し運転ではないからのようです。日中の「とき」はホームでそのまま折り返しなので、今回時刻表を見ていて「こういう運用もあったんだ」と初めて気づきました。
一応「とき27号」と思しき入線シーンは撮ったものの、さきほど「ひばり」の人混みに懲りたのか、私は鶯谷に向かいます。
上野駅の高架ホームから発車する列車は外側線を走るので、鶯谷では京浜東北南行のすぐ隣の線路ですから、ホームの明かりで撮れるだろうと (と、今書いてますが、たぶん当時はそこまで考えてないでしょうね)
かくして「とき27号」=「さようならとき」はやってきました。が、
ここで、弱冠11歳にして人生最大級のミスを冒してしまいます。なんと
カメラのシャッターが降りねぇー
モードラなんかありませんから、もちろん一発切り、ここぞのシャッターチャンスにシャッターが切れなければ万事休す。もう列車行っちゃってますよ。
ちなみにシャッターを切れなかった理由は、フィルムを巻き上げてなかったという超凡ミスです。
すぐ気づいて巻き上げて、列車の後ろだけでもと思ったら、今度は京浜東北にカブられました。あぁ。。。
あとで聞いた話では、「とき」は上りの最終列車も装飾があったようですが、上野着が所定で23:03。さらに遅れが加わっては、さすがに小学生一人では待っていられませんでした。
■1982-11-15(月) 翌朝のテレビニュースを余ったフィルムで撮
昭57.11.15改正前日 [3/3]
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