■1982-11-3(水) 両国[4] 502Mから折り返し 6501M (両国10:51→鹿島神宮12:53) 153系 急行「鹿島1号」
1982年11月3日(水)。昭57.11.15改正で姿を消す房総急行を撮影します。
房総急行といえばヘッドマークが特徴で、全国的にヘッドマーク廃止が横行していたこの時代に期待を膨らませて両国駅へ向かいました。切符は「国電フリー」、現在の都区内フリーパスです。
しかし・・・5方面すべての列車を見たものの、ヘッドマーク付は2本のみ、しかも1本は色褪せてよくわからん。
そもそも両国駅に着いた時点で、地平ホームへの乗り換え通路が閉鎖されており、いきなり「???」な私でした。
要は地方の列車別改札みたいなもので、列車発着時のみホームに入れるシステムです。そんな駅が東京都心にあるとは。
しばし通路が開かれると、今度は中間改札で「写真撮るなら入場券買ってね」とのこと。
発着する列車はすべて急行ですから「急行券を持たない奴を通すわけにはいかない、ならば入場券を買え」との理屈は、今になればよく分かるのですが、当時子供の私には理不尽にしか感じられず、よもや「ケチな駅だな」とさえ思ってしまいました (ごめんなさい)。
凡例… [カギカッコ数字]は駅の番線を表します
■1982-11-3(水) 両国[3] 202Mから折り返し 201M (両国10:59→安房鴨川13:35 #外房線経由) 165系 急行「外房1号」
1981年4月の時刻表上ではグリーン車連結となっていますが、すでに欠車状態
■1982-11-3(水) 両国 着後 104M (館山8:58→両国11:12) 急行「内房4号」
この後しばらく列車の発着がないため、地平ホームから追い出されたはず・・・
■1982-11-3(水) 両国[2] 303M (新宿11:41→銚子14:06 #八日市場経由) 165系 急行「犬吠3号」
新宿発着の列車は、かつて両国では国電ホームで客扱いしていたそうですが、末期は通過でした。用をなさないほど褪せたヘッドマークが残念であり、終焉間近な房総急行を象徴するかのよう
■1982-11-3(水) 両国[4] 401M (両国13:56→銚子16:19 #成田経由) 165系 急行「水郷1号」
ふただひ地平ホームで撮影。午前中に買った入場券で通してくれました
小学校低学年のころ、家族で成田山、犬吠埼へ行った帰りに、銚子から成田まで165系 (もしかすると153系) 急行に乗ったのを覚えています。
列車名はまったく記憶にありませんが、「水郷」で間違いないでしょう。車内放送でしきりに「両国行」と繰り返していたことは耳に残っています。
当時すでに総武本線は東京駅に乗り入れていて、特急と快速はすべて東京発着でした。ゆえに「両国行」を強調しておかないと、終点・両国で降ろされた客が「なんでここ東京駅じゃないんだよ」とかクレームでもするんですかね。
房総急行の最期 [1/2]
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