■ C55 > C55501937-03-08/月 汽車製造会社大阪工場 製番1458 仙台局配属 配置 仙台 1937-03-08/月 汽車製造大阪 NO.1458 新製 配属 仙台局 配置 仙台区(着 3/19) 使用開始 1940-02-12/月 郡山工場 一般修繕 入場 1940-02-27/火 郡山工場 一般修繕 出場 1942-03-04/水 郡山工場 一般修繕 入場 1942-03-10/火 郡山工場 一般修繕 出場 1942-03-31/火 現在 仙台区 1944-06-20/火 郡山工機部 一般修繕 入場 1944-06-27/火 郡山工機部 一般修繕 出場 1945-04-01/日 同日現在 配置 仙台 1947-04-09/水 郡山工場 一般修繕 入場 1947-05-08/木 郡山工機部 一般修繕 出場 1947-08-28/木 移動 青森 1947-08-28/木 仙台区→青森区 1948-09-21/火 日本車輌名古屋 局部修繕 入場(国鉄工場の労働争議により外注?) 1948-10-28/木 日本車輌名古屋 局部修繕 出場 1949-09-21/水 移動 会津若松 1949-09-21/水 青森区→会津若松区 1950-02-13/月 郡山工機部 甲修繕 入場 1950-02-21/火 郡山工機部 甲修繕 出場 1950-04-01/土 同日現在 配置 会津若松 1950-10-03/火 会津若松区→旭川区(10/8?) 特別休車指定 1950-10-08/日 移動 旭川 1950-11-13/月 特別休車指定解除 旭川区 1951-01-20/土 借入 小樽築港区 1951-03-01/木 返却 旭川区(ただし、苗穂工場の乙修繕を経て実着は3/10) 1953-04-28/火 苗穂工場 甲修繕 入場 1953-05-08/金 苗穂工場 甲修繕 出場 1954-04-01/木 現在 旭川区 1955-08-01/月 同日現在 配置 旭川 1956-03-11/日 苗穂工場 甲修繕 入場 1956-03-18/日 苗穂工場 甲修繕 出場 1958-02 この頃 機関車労働組合「雪と闘う機関車」のロケで旭川区構内を走行するシーンを撮影 1959-04-01/水 現在 旭川区 1959-05-24/日 苗穂工場 甲修繕 入場 運転室特別整備 キャブ密閉化 1959-06-04/木 苗穂工場 甲修繕 出場 1961-04-01/土 現在 旭川区 1962-11-07/水 苗穂工場 甲修繕 入場 1962-11-15/木 苗穂工場 甲修繕 出場 1964-04-01/水 現在 旭川区 1966-11-25/金 苗穂工場 甲修繕 入場 缶胴交換 1966-12-01/木 苗穂工場 甲修繕 出場 1969-03-31/月 現在 旭川区 1969-04-03/木 現在 旭川区 144レ(網走発小樽行)を滝川まで牽引 旭川駅にて撮影 1970-09-24/木 苗穂工場 全検 入場 1970-10-02/金 苗穂工場 全検 出場 1974-03-31/日 同日現在 配置 旭川 1974-09-01/日 第二種休車指定 旭川区 C57に代替されたため 1974-11-18/月 廃車 旭川 その後小樽市北海道鉄道記念館に保存、当初C5530として展示 1974-11-18/月 廃車(旭川区) 走行距離 3,622,124.5km 1977-04-21/木 北海道鉄道記念館(手宮庫跡地)にて保存(同館は1992年11月に一旦閉館)(もともと流線改造歴のあるC5530を保存予定だったものが連絡の手違いで解体されたため、急遽本機のナンプレや走り装置の部品刻印の目立つところをC5530に打ち直してC5530であると誤魔化したが、インチキを指摘されてC5550として保存) 1996-04-20/土 同地にリニューアルオープンした第三セクターによる小樽交通記念館にて展示再開 2006-03 小樽交通記念館閉鎖により展示中断(第三セクター行き詰まり) 2007-07-14/土 小樽市総合博物館として再々開館した同館にて引続き保存 2007-08 補足:本機の保存時における【番号詐称】は、【普通型改造】を知らなかった小樽市側の担当者が現車を確認した際の【流線型でない】という発言で国鉄側が馬脚を現して発覚。 2015-08 現在 小樽市総合博物館に露天で保存継続中 保存会があるらしいが予算がないのかやる気がないのか保存両数が多すぎて手が回らないのか連結された客車と共に整備は中断しているため劣化が進行中 北海道のような環境で屋根がないなら、定期的整備は不可欠だが、ここのカマはどれもとりあえず揃えてみたがそれで精いっぱいの感がぬぐえない