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機関車データベース
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9600 > 49648
1920-09-07/火川崎造船所兵庫NO.601 新製 配属 札幌局 配置 不明 使用開始
1920-12-10/金庫名不明(札幌局管内)→倶知安庫
1921-08-24/水倶知安庫→下富良野庫(本庫は1900/8/1付けの北海道官設鉄道十勝線上富良野-下富良野間延伸開業に併せて開設し、1901/9/3付けで落合庫下富良野駐泊所に格下げとなるも、1913/10/21付けで同庫分庫に格上げし、1905/4/1付けの官設鉄道への移管継承を経て、1914/4/1付けで下富良野庫に昇格)
1921-09-09/金下富良野庫→倶知安庫
1923-11-29/木12:04頃、函館本線塩谷駅に貨112レ(49696+貨車29輌+本機)の後補機として進入する際に、注意信号あることを本務機乗務員が汽笛合図で本機に通知し、その後場内信号進行現示を確認し再び汽笛にて制動解除を合図するも本機乗務員はその合図を感知せず制動を維持したため、2輌目の貨車ワ56749の連結器取付部が破損し列車分離のうえ脱線転覆する事故発生 死亡1
1925-05-27/水倶知安庫→小樽庫
1926-08-17/火小樽庫→野付牛庫
1927-10-03/月野付牛庫→旭川庫
1930-09-08/月旭川庫→岩見沢庫(某資料によるが?) その後 小樽築港庫に移動 時期不明(旭川庫→小樽築港庫の可能性あり)
1931-01-31/土現在 小樽築港庫
1931-10-31/土現在 小樽築港庫
1932-01-31/日現在 小樽築港庫倶知安分庫
1932-04小樽築港庫倶知安分庫→小樽築港庫
1932-10-05/水小樽築港庫→名寄庫
1933-11この頃 名寄庫→追分庫 正確な時期不明
1934-11-26/月追分庫→遠軽庫渚滑分庫
1935-05遠軽庫渚滑分庫→野付牛庫
1935-07この頃 野付牛庫→遠軽庫渚滑分庫 正確な時期不明(6/1〜7/31の間)
1936-09-01/火遠軽庫渚滑分庫→遠軽区渚滑支区(職制変更)
1937-12-30/木遠軽区渚滑支区→遠軽区
1943-03-31/水現在 遠軽区
1948-10-24/日遠軽区→名寄区
1954-04-01/木特別休車指定 名寄区
1954-11この頃 特別休車指定解除 名寄区(戦後多くの機体が特別休車となったが(一説には海外への補償候補といわれるが、ありがたみもない時代遅れの古典機も含まれている)、実態は戦争の後遺症により工場の検査修繕機能が万全でないため、多くの機体が検査回帰期限切れとなったものの廃車にするつもりもなく(戦災その他の事故車は特別休車にせず第一種休車中廃車予定に指定されていた)検査順番待ちと思われる)
1960-04-01/金現在 名寄区
1965-03-31/水現在 名寄区
1970-03-31/火現在 名寄区 北海道仕様切り詰めデフ(長さが煙室端まで) 旋回窓・前照灯副灯取付済
1974-03-31/日同日現在 配置 名寄
1975-03-31/月同日現在 配置 名寄
1975-05-05/月宗谷本線(旭川方)臨客SLさようなら列車8221レ(本機+39679+PC6輌)牽引 旭川-名寄間
1975-05-06/火名寄本線臨客SLさよなら三重連客レ8627レ・8626レ牽引(本機+39679+79642+PC5輌 復路は39679が前前補機 名寄-上興部間)
1975-05-17/土名寄区→滝川区 その後 追分区に貸渡 返却せず 
1975-07この頃 滝川区→追分区 正確な時期不明
1976-03-02/火追分区有火予備機として国鉄蒸気最終日を終える 
1976-03-31/水廃車(追分区) 追分区及び北海道総局管内最終在籍SLの1輌・形式最終廃車機の1輌(動態保存機を除く国鉄最終在籍SLの1輌) 走行距離 2,440,905km
1976-054/13に発生した追分区扇形庫内の不審火による79602の焼失で急遽代替保存機対象となる
1976-06-02/水中頓別駅に回着後側線留置
1976-08-26/木大型トレーラーにより保存場所である寿公園に移動後(翌日設置)保存(某資料には6/19保存開始とあるが誤り)
1977-01-15/土旭川鉄道管理局長と中頓別町長との間で無償貸与契約締結
2015-06現在 寿公園に露天で定期的整備を受けつつ保存継続中 赤ナンプレ 屋根がないため整備と劣化のいたちごっこだが、人のいない土地だけにキャブ内の立入り可の割に計器類の損壊は少ない 保存状態は良いが、極寒の地でありできれば屋根が欲しいところ

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