■ 1800 > 18011881 Kitson & Co., NO.2453 新製 飽和式Cタンク機 官鉄 NO.56 配属 神戸事務所(某資料には西部局とあるが誤り) 配置 不明(京都ー大津間で使用された説あり) その後 関ケ原-長浜間の不破越えに使用 1892-10 現在 庫名不明(神戸運輸課(某資料には西部局とあるが誤り)管内) Y形 NO.56 1894-06-01/金 鉄道局により形式付与・改番 Y形 NO.40 配属 不明 配置 不明 1898-11-14/月 鉄道作業局により改形式 B2形 NO.40 配属 不明 配置 不明 1909-10-01/金 鉄道院車両形式称号規程により改形・改番 1800形 NO.1801 配属 不明 配置 不明 1911-10 現在 庫名不明(中部局管内) 1922-12 現在 田端庫 入換専用機(某hpによる) 1929-09 この頃 廃車(庫名不明(局名不明)) 正確な時期不明 性能は概ね良好だったというが当時の日進月歩の技術革新と物流需要に対応できず急勾配用には物足りなくなった模様 その後 高知鉄道に貸渡 NO.1801 時期不明(なお、鉄道ファン vol.476には1926に松戸で衝突事故を起こしたことも廃車を速めた一因とある) 1930-01-15/水 須崎港に陸揚げされ直ちに後免町車庫に搬送 同庫にて修繕開始(2月末に整備完了) 1930-03 この頃 高知鉄道(後の土佐電気鉄道安芸線)に譲渡認可 NO.1801 正確な時期不明 4/1の開通に向けて突貫工事中の建設用に使用 1940-04 この頃 後免町にて撮られた写真が「国鉄蒸気機関車小史」に掲載あり 正確な時期不明 1940-05 この頃 東洋レーヨンに譲渡 東海道本線石山から同社滋賀事業所に伸びる専用線にて使用 NO.102 正確な時期不明 1947-06-11/水 11:10頃、東海道本線石山駅構内を専用線側線から東寄りに貨車2輌・西寄りに4輌を連結した状態で下り本線を経て東寄り2輌を2番線へ突放した際に、突放の衝動を使い西寄りの貨車の自連てこを解放(手間を惜しんだ)し、本機は制止手信号を無視して約105m進行し第19号ロ転轍器手前で停まったが、分離後の西寄り貨車群の制動が荷重と下り勾配により作用せず本機に衝突し本機は前進、折あしく定位に転換中の転轍器尖端軌条を巻き込み本機全軸脱線する事故発生 原因は機関士(無資格)の無謀かついい加減な操縦 1964-09 この頃 廃車(東洋レーヨン) 正確な時期不明 東洋レーヨン専用線のDL化が遅れたのは当時のDLには専用線の勾配がきついのと本線にまたがる入換の信頼性がこの古典機より低かったためという 1964-09-26/土 国鉄に寄贈 贈呈式実施 自力走行で鷹取工場入場 保存用整備実施 1964-10 交通科学館にて保存 当初の展示ナンプレNO.102 その後 NO.1801(’66初頭) さらに NO.40に変更 1965-10-14/木 準鉄道記念物に指定 2004-10-14/木 準鉄道記念物からJR西日本の鉄道記念物に昇格 2014-04 交通科学博物館の閉館に伴い梅小路蒸気機関車館に移設して保存 2016-04-29/金 京都鉄道博物館落成に伴い同館本館中央寄りにて公開展示 ナンプレは40の数字のみ貼り付け 整備されており保存状態は極良