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御徒町陥没事故
1990年1月22日

「北斗星トマムスキー」「シュプールニセコ」の各回送を撮ろうと鶯谷を目指すが、タッチの差で山手・京浜東北が抑止。あの御徒町陥没事故の日。

EF651028 北斗星トマムスキー 回送 日暮里
■1990-1-22(月) 日暮里 回9514列車 [上野15:25着] 臨時特急「北斗星トマムスキー」の関連回送列車 EF651028

EF651023 シュプールニセコ 回送 日暮里
■1990-1-22(月) 日暮里 回9132列車 [上野15:31着] 臨時急行「シュプールニセコ」の関連回送列車 EF651023

鉄道ダイヤ情報 1990年2月号「DJレイルカレンダー」鉄道ダイヤ情報 1990年2月号「DJレイルカレンダー」より

1990年1月22日(月)の夕刻、スキー多客臨の関連回送列車が、相次いで上野にやって来ます。

1本は臨時特急「北斗星トマムスキー」、もう1本は臨時急行「シュプールニセコ」で、どちらも回送。

「北斗星トマムスキー」は トマム発→横浜行 の設定で、横浜着後の編成を東大宮操経由で尾久へ戻すものです。なかなかご苦労な話で、ここまで手間を掛けて横浜発着にするメリットがあるのかと素人的には思ってしまいます。

「シュプールニセコ」は 札幌発→山線経由→郡山行 の設定で、郡山着後にそのまま尾久へ回送されてきます。どうせなら上野まで客扱いすればいいのにと思いますが、そうしたところで急行料金や寝台料金が増収になるわけではありませんから、だらだら客扱いするよりは、郡山で新幹線に乗り換えてもらおうという戦略なのかも知れません。

ともあれ大宮→上野間では、たまたま意図せずそうなったのでしょうが、両回送列車が6分の時間差で次々やって来る効率の良さ、すかさずGETしに行きます。

この日も学校帰りの撮影で、月曜日は授業終了が14時。あまり遠くまでは行けませんので、素直に鶯谷での撮影を予定していました。

北千住から常磐線で日暮里へ、そして、やって来た山手線外回りの最後尾車輌、最後部ドアに乗り込んだまでは何事もなかったのですが、なかなか発車しない、というか、車掌が発車ベルを鳴らそうとしません。あろうことか、まさに今このタイミングで抑止がかかったのです。

目的の鶯谷は次の駅ですから「1駅くらい走ってくれよ」と願うものの、車掌室から漏れ聞こえてくる指令の声は思った以上に緊迫しており、ただならぬ様子。

そうこうするうちに「御徒町の線路下で爆発事故があり、山手・京浜東北とも運転再開の目途が立たない、上野へ行く客は常磐線を利用するよう」案内がありました。私も仕方なく山手を降りて常磐線ホームへ戻り、そこで2本の列車を撮影することになったわけです。

本来は推回も撮るべきところ、私は野次馬根性を発揮してそれをパス。事故現場へ向かうべく、上り常磐線に乗り込みます。

日暮里から常磐線の上り列車に乗るなど、通常はまずあり得ないことなのですが (東海道線の普通列車に東京-新橋間だけ乗るようなもの、といえば分かるでしょうか)、山手・京浜東北が動いていないのですから仕方ありません。

この事故は、東北新幹線のトンネル掘削工事で圧縮空気が土砂とともに噴出し、道路が陥没したものです。不謹慎ではありますが有名な事故ですので、詳細はネット検索すればたくさん出てきます。

しかし当初、日暮里駅で聞いた情報は「爆発事故」であり、そんな現場に行って (色々な意味で) 大丈夫なのか、正直なところ迷いはありました。

が、とりあえず上野まで来てみると、御徒町付近の地下を走っている営団 (現:東京メトロ) 日比谷線などは通常運行していたことから、事故範囲は限定的であろうと判断、その日比谷線に乗って仲御徒町経由で向かったものです。

とはいえ、私が現場に着いたときは事故発生から1時間ほど経っており、すでに規制線が張られていて近づくことは出来ませんでしたが、舗装されているはずの道路が一面、茶色の土で覆われているなど、明らかに尋常ではない状況でした。

しばらくすると、山手・京浜東北の線路の検査が行われ、ほどなく運転再開。私も帰宅しました。

御徒町 乗車券

2014.2.16 (終)

御徒町陥没事故

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