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昭60.3.14改正に向けて [6/8]
1985年3月9〜10日
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上野発着の昼行急行が全廃される昭和60.3.14改正が目前、最後の土曜・日曜の様子。頻繁に試運転列車が行き来する新幹線の傍らで、急行は黙々と最後の仕事をこなしていた。

185系 新幹線リレー号
■1985-3-10 鶯谷 185系「新幹線リレー号」

185系 新幹線リレー号
■1985-3-10 鶯谷 185系「新幹線リレー号」。横帯と踊り子塗装の併結。どちらの塗装も今となっては過去のもの

185系 新幹線リレー号
■1985-3-10 鶯谷 185系「新幹線リレー号」。踊り子塗装ですが200番代車です

■あれ!? ちょっと違うリレー号が登場

「新幹線リレー号」には185系200番代車が使用され、これは本来「横帯」塗装です。しかし改正前の僅かな期間だけ「踊り子塗装」を纏った200番代車が登場し、話題になりました。

パッと目には、違いに気が付かないけど、なにか違和感を感じる「リレー号」。

これは今回のダイヤ改正で新幹線リレー号の任が終了し、改正後は田町電車区に転属することになった7連1本が、フライングで塗装変更されたもの。

これとは逆に、横帯のまま転属していった編成もあって、横帯の「踊り子」はしばらく見ることができましたが(1年後の1986年4月時点でも存在)、踊り子塗装の「新幹線リレー号」は期間限定のレア品だったと言えます。

運転開始当初はファンから思いっきり敵視されていた「新幹線リレー号」でも、運転期間は3年にも満たない短命列車でした (私の感覚としては、もっと長い期間、走っていたような印象がありますが)。

上野-大宮間のどこかで鉄をしていれば、上下合わせて15分に1本はやってくる目障りな列車。おまけに14両という長い編成でしたから、お目当ての列車がコイツ(リレー号)にカブられやしないかとヒヤヒヤものでした。今になれば良い思い出です。

ちなみに185系の0番代車と、200番代車の見分け方は、前面トレインマーク下の通風口(かな?)。これが網タイプなら0番代車、カバータイプなら200番代車です。車輌に詳しい方が見れば、もっと色々な違いがあるんでしょうけど、私のような素人はそこで見分けていました。

185系 特急あかぎ
■1985-3-10 鶯谷 185系 特急「あかぎ」でしょうか

185系 特急 谷川
■1985-3-10 鶯谷 おそらく上の写真と同じ列車の後追いで、こちら側は特急「谷川」

EF58154
■1985-3-10 三河島 EF58154。たぶん、隅田川から田端操への単回

EF8039
■1985-3-10 三河島 EF8039+臨客。集約臨か何かだと思います。おそらく鶯谷でこの推回を見かけて、EF80なら常磐線に行く列車だろうということで、ここ三河島に先回りして待ち構えていた気がします

485系 特急ひたち
■1985-3-10 三河島 485系 特急「ひたち」。貴重な絵無しマーク。現在の三河島駅はホームが15両対応となっていて、三つ見えるボックスのうち、一番奥のボックス付近までホームが延伸されています

485系 特急ひたち
■1985-3-10 三河島 485系 特急「ひたち」振り返って撮影。こちらはお馴染みの絵入りマーク

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