■ C11 > C112751944-12-22/金 日本車輌名古屋 NO.1350 新製 配属 東京局 配置 不明(保存説明板によれば、当初は御殿場線で客貨レ共に使用とあるが? 当時、御殿場線は国府津区のD51の天下でC11の出番は入換以外には? 勾配区間手前までの小運転の可能性はあり) 1947-03-01/土 現在 茅ヶ崎区 1951-02 茅ヶ崎区→飯田町区(3/1?) その後 横浜区に移動 時期不明 1951-10-01/月 現在 横浜区 1952-10-01/水 現在 横浜区 1953-04-01/水 現在 品川区 1953-09-01/火 現在 品川区 1954-04-01/木 現在 横浜区浜川崎支区 1955-03 この頃 横浜区浜川崎支区→浜川崎区(本区昇格) 正確な時期不明('55/2/2〜7/31の間 機関車全図鑑には'56/7とあるが誤り) 1961-04-01/土 現在 浜川崎区 1967-03-24/金 浜川崎区→米沢区 1969-03-31/月 現在 米沢区 1970-03-31/火 現在 第一種休車 米沢区 1971-03-31/水 現在 第一種休車継続中 米沢区 1971-07-21/水 廃車(米沢区)(某資料には小牛田運転区とあるが別機番の見誤りと思われる) 走行距離 718,083km 1971-10-18/月 東京北鉄道管理局長と大田原市長との間で無償貸与契約締結 1971-12 大田原市交通公園にて保存(某hpには本機は廃車直前に「赤羽」駅で入換とあるが、「赤湯」駅の見誤りと思われる、当時赤羽の入換をC11が行ったら大騒ぎ) 2000-11 大田原市は交通公園廃止及び赤錆だらけで鉄くず化した本機を解体撤去する方針をたてる 2002-09 市の解体のうごきに対し、地元西原自治会が反対し、それに賛同した那須清峰高(旧 那須工業高)機械科の有志にが毎週一回の補修作業を実施 塗装などの手入れあり(ただし、現役当時を知らない学生の整備のためか、せっかく塗装したもののこれじゃない感のある仕上がり) 2016-09 現在 美原公園の敷地の一角(旧 交通公園)に露天・柵付きで保存継続中 10数年の間整備が放棄されており、屋根がないこともあって雨だれ跡・錆び浮き・退色が目立つ 煙室扉ハンドル欠損・キャブ内のガラス類や計器類の盗難・欠損もあり保存状態は悪い(「メンテの意思は一切ない」と2000年に当時の大田原市助役が発言)