■ C11 > C111761940-07-30/火 川崎車輌兵庫NO.2338 新製 配属 大阪局 配置 竜華区(某hpには稲沢区とあるが誤り) 1942-01-23/金 竜華区→静内区 1947-04-01/火 現在 静内区 1947-09-01/月 現在 第一種休車 静内区 1948-03 第一種休車指定解除 静内区 1954-12 この頃 第一種休車指定 静内区 正確な時期不明 1955-01 第一種休車指定解除 静内区 1960-06-01/水 静内区→追分区苫小牧支区 1964-09-06/日 追分区苫小牧支区→釧路区 1967-03-31/金 現在 釧路区 1968-03-31/日 現在 第一種休車 釧路区 1968-09-25/水 釧路区→追分区苫小牧支区(着 9/26?) 1971-10-01/金 追分区苫小牧支区→苫小牧区(本区昇格) wikiには'69/10/1付けとあるが誤り 1973-10-13/土 苫小牧区→長万部区(某資料には10/15付けとあるが誤り) 1974-03-31/日 同日現在 配置 長万部 1974-06-14/金 長万部区→釧路区(着 6/15) 1975-03-31/月 同日現在 配置 釧路 1975-06-25/水 廃車(釧路区) 釧路区最終在籍SLの1輌 当初中標津町に保存予定のためか解体保留 その後 釧路区標茶支区にて留置、工作局解体通達は'79/8/6付けだが同年11月上旬時点で実機は手付かずでシートで覆われた状態で留置されており、部分的な解体を機関支区独自で行うことはありえない 1978-03 現在 釧路区標茶支区で留置継続中(標茶町が保存を内定していたと思われる) 1979-11 熊本県宇土市でC11保存の機運高まり本機が対象候補となるも、輸送経費1000万円の予算なく見送り(釧路局の輸送費のあまりの高値唱えや腐食が進み保存に値しないという不可解な回答も含めた対応は、可能性として道内のどこかの市町村が既にSL本体の貸与を予約していたものが、経費難により動輪のみの保存に変更となり最終的に合意済みだったものを、いまさら他の道外の市区町村に依頼があるからと簡単に渡せない事情があったかと思われる=それならそれでそういう説明があると先方もあきらめがついたはずだが) 1979-11-29/木 宇土市からの照会に対して十分な説明がないまま、まるで逃げるかのように釧路車両管理所に無火回送(貨物扱い)され先方に言質を与えずに解体 長らく底値が続いていた屑鉄の買取り額がこの時期に堅調に転じたため処分を急いだものか?