■ 9600 > 296221918-06-24/月 川崎造船所兵庫NO.382 新製 配属 東部局 配置 不明 使用開始 1931-01-31/土 現在 長野庫 1936-09-01/火 長野庫→長野区(職制変更) 1938-12-12/月 長野区→直江津区 1940-09 直江津区→松本区 1941-09-20/土 松本区→新庄区 1941-10-23/木 新庄区→横手区 1944-03-31/金 現在 横手区 1947-04-01/火 現在 第一種休車 横手区 1947-09-01/月 現在 横手区 1953-05-15/金 第一種休車指定 横手区 1953-09-01/火 現在 第一種休車継続中 横手区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 1954-04-01/木 現在 横手区 1954-09-16/木 横手区→坂町区(着 9/17) 1959-04-01/水 現在 坂町区 1963-04-01/月 現在 坂町区 1967-03-31/金 現在 坂町区 1968-03-31/日 現在 第一種休車 坂町区 1969-03-31/月 現在 坂町区 変則ステー(両側共につらら落としと思われる長方形突起を上部に備える) 1970-02-06/金 米坂線羽前沼沢 125レ牽引 PF1970-6に掲載 1972-04-03/月 坂町区→深川区 その後 北海道仕様切り詰めデフ(長さが煙室端まで)実施(変則ステーそのまま残る) 前照灯副灯取付 1974-03-31/日 同日現在 配置 深川 1974-12-13/金 深川区→岩見沢第一区 この頃 煙室扉及び前端梁トラ塗り 時期不明 右側運転台? 1975-03-31/月 同日現在 配置 岩見沢第一 1975-06-04/水 ワシキにて この日で 最後の入れ換えに 運良く 添乗できました 1976-01-17/土 廃車(岩見沢第一区) 1976-08 現在 小樽築港区にて留置 ナンプレ白ペンキ塗り(但し、この時点で既に59602との機体取り違えが発生していた可能性大 当時は反合理化闘争の真っ最中で国鉄組合員の勤労意欲は著しく低下しており、かっての規律規範が緩みきっていた時期で末端組合員の手抜き作業が横行していた 管理職に対する嫌がらせや暴行も頻発したすさんだ時代だった) 1976-11 越後線関屋駅に回着 側線留置(但し、ナンプレのみ29622で本体は59609) 1976-12-04/土 新潟鉄道管理局長と新潟県知事との間で無償貸与契約締結 1989-08 現在 新潟県立自然科学館にて保存(但しナンプレのみ29622で実態は59609 デフのステーは明らかに59609のもの) 2015-04 現在 新潟県立自然科学館に露天で定期的整備を受けつつ保存継続中 有料公共施設内の展示のため保存状態は良い 形式入りナンプレ(ただし、ナンプレ以外は別機)カマ取り違えが明白であるにも関わらず依然しらをきって展示を継続しているのが不可解 米坂線と縁があるなし関係なく、本来の機番59609としての展示に一日も早く変更してもらいたい