■ 3900 > 39031892-11 Maschinenfabrik Esslingen AG NO.2505 新製 ラックピニオン/アプト式Cタンク機 現地製造後船積み(本形式は同社のイタリアに当時存在したSaronno分工場にて製造された可能性が高い) 1893-01-11/水 逓信省鉄道庁(官鉄) NO.200 配属 新橋運輸課 配置 横川庫(本庫は1885/10/15付けの官鉄高崎ー横川間開業に併せて開設) 1893-01-11/水 新橋工場 組立後の場内試運転 1893-01-15/日 早朝 新橋工場発 夕刻 高崎着(日本鉄道線を使い自力回送) 1893-01-16/月 回送列車(本機+二等客車(幹部職員及び雇われ外国人技師添乗))横川庫着 1893-01-17/火 アプト区間試運転 ピニオン組立ミスを発見し、新橋工場に返却 その後 整備を了えて横川庫に返送 時期不明 1893-01-23/月 信越線横川ー軽井沢間のアプト式区間で本機+空車2輌による試運転するも運転ミスにより失敗(本来ラックピニオン用と通常の粘着運転用シリンダ双方に給気すべきを英国人お抱え技師が面子からドイツのメーカーの技師派遣を拒否して操作を誤った) 1893-02-22/水 正しい運転操作による第3回試運転でも客車3両の引上げに失敗 1893-02-24/金 第4回試運転でついに客車4両150人乗りにての上下各1時間の運転に成功 1893-03 同時期に導入された全機の習熟運転を開始 1893-04-01/土 碓氷線開業により本運転開始 牽引定数70t 横川-軽井沢間片道75分をかけて5往復/日・時速9kmにて運転 上り坂での煤煙に乗務員と乗客は苦しみ窒息失神したり乗車を拒否する騒ぎも起こる 1894-06-01/金 鉄道局により付与形式・改番 AD形 NO.132 配属 新橋運輸事務所 配置 横川庫 1898 この頃 重油併燃装置取付 正確な時期不明 1898-11-14/月 鉄道作業局により改形・改番 C1形 NO.503 配属 新橋運輸事務所 配置 横川庫 1909-10-01/金 鉄道院車両形式称号規程により改形・改番 → 3900形 NO.3903 配属 東部局 配置 横川庫 1922-07-06/木 廃車(横川庫) 達500号 形式最終廃車機の1輌(全機同時に廃車)(碓氷トンネル電化は1912/5/11付けだが貨物用に1921/5/8まで蒸機を使用、10020形(後のED40)増備で同年冬までに完全無煙化完了)