■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 32M 485系 特急「つばさ12号」 (後追い)
「つばさ」の列車番号は、(号数+20)M となっていました。これは、11M/12M「はくつる」、17M/18M「あいづ」などがあったためです (3M/4Mは「ゆうづる」が使用)。
(号数+1000)等にしなかったのは、奥羽本線という大幹線ゆえのプライドでしょうか。
秋田側も考慮しなければいけませんので、2000番台だと「いなほ」、3000番台では「たざわ」と競合します。5000番台は「白鳥」。
■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 426列車 50系客車 (後追い)
おそらく“鉄”で満員の50系普通列車が、松川トンネルに吸い込まれていきます。こんなことを言っては元も子もありませんが「お別れスイッチバック号」に乗らなくとも、普通列車でもスイッチバックはフツーに堪能できるわけです。今日までは。
松川鉄橋で上り「お別れスイッチバック号」を撮影後、今度は同鉄橋を逆方向から狙う形で、折り返しの下りを待ちます。
ちなみに、ご存知の方はご存知の通り、上りを撮影した場所へは「渡っていかなくてはいけない」ので、高所恐怖症の気がある私はかなりビビリました。
「お別れスイッチバック号」は、福島での折り返し時間が27分しかなく、松川鉄橋付近の時刻で見ると、上りが行って下りが戻って来るまで、ちょうど1時間です。
この間、「つばさ12号」と426列車が立て続けに峠を降りていきました。この両列車、当時のダイヤによると板谷駅で「つばさ12号」が426列車を追い抜いていて、「つばさ」が赤岩を通過した時点で、426列車は板谷を発車しています。
庭坂〜赤岩〜板谷間は下り線が改軌工事のため閉鎖されていて、旧上り線を使用した単線運転となっており、なおかつ赤岩では列車交換できませんが、同方向の列車間隔は詰められるよう、赤岩は閉塞の境界になっていたようです。
下りの「お別れスイッチバック号」・・・もちろんそれは(旧)上り線を逆行する(ような)形で走ってくるのですが・・・どうも下り線のトンネルに光が見えると思ったら、モーターカーがやってきました。
■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 下り線
■1990-8-31(金) 庭坂-赤岩 9431列車 EF716+ED78+12系 「お別れスイッチバック号」 松川トンネル飛び出し
■1990-8-31(金) 庭坂-赤岩 9431列車 EF716+ED78+12系 「お別れスイッチバック号」 松川トンネル飛び出し
■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 9431列車 EF716+ED78+12系 「お別れスイッチバック号」
■1990-8-31(金) 松川鉄橋 (庭坂-赤岩) 9431列車 EF716+ED78+12系 「お別れスイッチバック号」
「お別れスイッチバック号」 運転時刻
(鉄道ダイヤ情報1990年9月号より)
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お別れスイッチバック号 [2/3]
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