1988年5月29日(日)、まずは上野で EF6439。
後年は「あけぼの」などで EF64 の0番代がごくごく普通に上野で見られるようになりましたが、当時は基本的に1000番代のみ。0番代は極めて珍しい。
もっとも、常磐線や成田線など、じわじと活動範囲を広げていた EF64 でしたから、上野に発着しても不思議ではない雰囲気にはなっていました。
上野の駅名票や常磐線103系とフレームに収めていて、それなりに工夫 (したつもり) が垣間見られます。
団体名は「川口市民号」でありながら、乗降は大宮だったようです。武蔵野線の南浦和や東川口という手もあったんじゃ。
そうすれば 上野から常磐線→馬橋→武蔵野線経由となり、機回しも不要 (とは常磐線沿線住民の戯言か)。
この頃から オク座 = 尾久客車区12系お座敷客車に "なごやか" という愛称が付きました。
■1988-5-29(日) 上野 回9541列車 (上野→東大宮操) EF6439
■1988-5-29(日) 日暮里 回9541列車 (上野→東大宮操) EF6439 なごやか (尾久客車区 12系 お座敷客車)
■鉄道ダイヤ情報1988年6月号「ジョイフルトレイン運転予定表」より (クリックで拡大)
■1988-5-29(日) 新小岩操-金町 団体列車「下町エクスプレス ビックリ目玉号」 1周目 165系
■1988-5-29(日) 新小岩操-金町 団体列車「下町エクスプレス ビックリ目玉号」 2周目 165系
■1988-5-29(日) 金町 団体列車「下町エクスプレス ビックリ目玉号」 2周目 165系
■鉄道ダイヤ情報1988年7月号「ミニ・フォトニュース」より (クリックで拡大) 写真は三河島
そして新金線を走る165系団体列車「下町エクスプレス ビックリ目玉号」です。
鉄道ダイヤ情報の記事にある通り、運転経路は両国[地平ホーム]→津田沼→新小岩操→金町→田端操→新宿→両国[高架ホーム]で、これを2周しました。1周目と2周目の間はいったん津田沼まで回送しています。
このルートでは編成の向きは反転しないので、向きを戻すために2周したわけではなく、単に企画戦略上のものと思います。
165系9両の編成定員は約700名ですから、記事にある「招待客約1400人」というのは、2周合わせての人数です。
両国駅の 地平ホーム⇔高架ホーム 間の転線(入換)や、両国⇔新小岩操 の行き来には少なくとも津田沼まで行って折り返してくる必要があります。もう少し配線どうにかならないのかと思いますが、普段そのような需要があるかと言えば、まぁ無いですね。
2周走ったのですから、1本くらい新中川で撮ればいいのに、ヘッドマークが付くと予想しての接近戦か。
■1988-5-29(日) 金町-松戸 9402列車 (平→上野16:35) EF8195 スーパーエクスプレスレインボー (尾久客車区 14系 欧風客車)
■鉄道ダイヤ情報1988年6月号「ジョイフルトレイン運転予定表」より (クリックで拡大)
〆は EF8195 + スーパーエクスプレスレインボー です。昨日の復路。
これを言うと怒られるかもしれませんが、EF8195 や EF651019 が牽くレインボーは、私はあまり面白くなかったですね。できれば他号機が牽いてほしい。
「じゃあ、専用機なんて要らないのか」っていうと、そんなことはなくて、これらの機関車がレインボー以外の列車の先頭に立つと大喜びで撮るわけですから、なかなか現金なものです。
165系 新金線
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