■1987-8-28(金) 下総中山 単382(貨物列車) (佐倉9:38→新小岩操10:40) DE101667 C56160
1987年8月28日(金)、千葉地区で運転を終えた「SL毎日号」の C56160 を仙台へ回送するところです。
なぜに仙台かというと、「SL東北100年号」の後半の運転に備えるため。
C56160を持ってきたときは、新小岩操〜佐倉間はJR東の工事列車に連結して輸送したのに対し、返却はJR貨物の列車で輸送します。
都合のよい時間帯の列車をうまく利用していて、JR会社間の連携ができている印象を受けますね。
ちなみに通常は単行機関車列車 (単回) の列車で、列車番号はそのままに単382(貨物列車)と注釈付きになっていました。
こんな列車番号、後にも先にも見たことがない・・・ (私が知らないだけで結構あるのかもしれませんが)
■1987-8-28(金) 田町 レールランチ山手 103系
■1987-8-28(金) 東京 レールランチ山手 103系
■1987-8-28(金) 御徒町 レールランチ山手 103系
■1987-8-28(金) 御徒町 レールランチ山手 103系
■1987-8-28(金) 新小岩操-金町 5261列車? EF8188 C56160
C56160は新小岩操で17時頃まで休止となります。この間、こちらは山手線まで出向いて「レールランチ山手」を撮。
「レールランチ山手」は車内でコーヒーや軽食を摂りながら山手線を一周する企画列車です。事前応募制で、8月26〜28日の3日間、走ったと思います。
103系4連で、なかなか派手なデコレーション。「4連だから、ちょっくら見てくるか」くらいの気持ちだったので、ここまでやるとは想定外でした。
内回りで3周し、東京駅では各回20分ほど停車。
若い方はおそらく(゚Д゚)ハァ?と思うでしょう。東京駅で山手線が20分も停まってられるわけないじゃん。
実はこの頃はまだ京浜東北の快速運転がなく、日中の田端〜田町間は山手と京浜東北が線路を共用していたんですね。
「レールランチ山手」はそこをうまく利用して、空いている側の線路に運転されたわけです。
定期列車は偶数月は外側線、奇数月は内側線を使うことになっていて、8月は外側線の月ですから、「レールランチ山手」は内側線を走りました。
で、なぜか御徒町で2周も撮影していますが (場所変えろよな・・・)、これらの場所では絶対にカブられません。内側線には他の列車が走ってませんからね。
これ、鶯谷で東北・高崎線を撮影する場合にも同じことが言えて、奇数月 (平日日中に限られますが) は4番線に列車が来ないので、カブられるリスクがぐっと減ります。その代わり偶数月は大変ですがね。
国鉄時代のさらに初期は、早朝深夜も含め共用運転が毎日実施されていましたが、末期は平日の日中のみの実施となっていました。しかも、山手や京浜東北でクモヤ193やマヤなどイレギュラーな臨時列車が1本でも日中に走る日は、共用運転が中止になりました。
JRになって2年目を目前にした1988.3.13改正から京浜東北の快速運転が始まったため、共用運転は過去のものとなりました。
現代、何かのトラブルがあると「山手線が京浜東北線を走ってる!!」などとニュースになりますが、私の世代からすると「それがどうかしましたか?」くらいの感覚です (こういうのを老害というのかも)。
当然・・・と言ってはいけませんが、南行の田町、北行の田端では、線路を共用してきた山手と京浜東北の振り分け (ポイント操作) を間違える運転事故が、何年かに1回はありました。
S回2 レールランチ山手
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