KEI様、三面怪人様
既に、三面怪人様の書き込みがあり、一部重複しますが、私も記したいと思います。
一部は、KEI様のホームページに記載のデータと食い違いもあります。
どちらが正しいのか、私にはわかりませんので、その部分については、
当方のデータの出典を記します。
C11 275
昭和19年 日本車輌製造、製造番号1351
昭和22年3月末時点 茅ヶ崎区
昭和46年7月 廃車、最終区 米沢区(この項、Rail Magazine別冊「日本の蒸気機関車」より)
(KEI様のホームページで引用されている新聞記事の
「最後は現在のJR赤羽駅で貨物の入れ替えに使用された。」という部分に合いません。)
C58 5
昭和13年8月18日 汽車会社製造、製造番号1582(この項、キネマ旬報社「蒸気機関車」1975年7月号より)
(とちのきファミリーランドの看板説明の日付 昭和13年8月13日と一致しません。)
昭和20年8月末時点 千葉区
昭和40年4月1日時点 高崎第一区
昭和41年1月1日時点 高崎第一区
昭和43年10月17日 廃車、最終区 高崎第一区
なお、昭和13年8月に汽車会社で製造されたC58 (C58 1〜10, 78, 79)のうち8両は、
8月23日までに新鶴見区に配属され、性能調査のための試用が行われ、
その後、千葉区に転属したそうです(鉄道ピクトリアル1966年4月号より)。
この8両の中にC58 5が含まれていたかどうかはわかりません。
参考までに、昭和14年3月31日時点で東京周辺に配属されたC58は、
新鶴見区9両、高島区4両、新小岩区4両、千葉区1両です。機番はわかりません。
機番がわかるデータで、なるべく古いもので上の12両を調べますと、昭和20年8月末時点で
千葉区(C58 1〜5, 7)、高島区(C58 6, 8)、高知区(C58 9, 78)、津和野区(C58 10)、
新見区(C58 79)となっておりました。
C58 1〜8が東京周辺におりますが、この8両が性能試験に使われたものでしょうか??
真相はわかりません。
また、三面怪人様が書き込まれたように、シングルナンバーの多くが、
比較的遅くまで関東地区に配属されていた事には、こんな事情が絡んでいるのではないかと思われます。
C50 123と49671の履歴については、KEI様のページに詳細に記載されており、付け加えることはございません。
最後にC50 123のエピソードとひとつ。
用途廃止の昭和45年7月1日は、小山機関区でさよならイベントがあったようです。
私はイベントは見ておりませんが、例えは、キネマ旬報社「蒸気機関車」1974年3月号に記事があります。
扇形機関庫に8両のC50が並んだ様子が紹介されています。並んだ順に記しますと、
C50 115, 125, 108, 106, 154, 機番不明(恐らく110), 80, 123です。
当日は、108, 154, 123の3両が有火状態だったとあります。
そのイベントの直前の鉄道ピクトリアル1970年5月号では、C50 110が保存予定となっておりました。
いかなる理由でC50 123に変更になったのでしょうか?
長くなりました。