このHNでは初めての書込みです。よろしくお願いいたします。
KATOさんの「石灰貨物列車セット」で40年以上前を思い出した、「布原D51三重連」の布原でも、新見発足立行・D51のバック運転が見られました。三重連の布原信号場出発が9時17分。その約1時間ほど前の8時2分に781列車(足立行・D51バック運転)が通過していましたので、当時布原に行かれた方は、ご記憶の方も多いと思います(13時台に布原で見られた、783列車も同様の運転でした)。
もちろんD51三重連が”白眉”の存在でしたが、三重連末期に見られた、「DD54+次D51/上り貨物列車」および伯備線完全無煙化前の半年間だけ見られた、「DD51+次D51/上り貨物列車」とともに「後藤式集煙装置付重装備D51のバック運転」は、”なかなか見られない、珍しいシーン”という事で私は今も印象に残っています。
●余談ですが、伯備線新見⇔生山間では谷田峠越えのため、牽引重量が330トンを超えると補機が付いていましたが、生山駅にD51用の転車台がなかった関係で、下り貨物列車の補機が逆向きで「D51+貨車+逆後D51」の編成でした。
●PRで恐縮です。D51の画像はD51三重連の消えた後のものしかありませんが、その「逆後D51」の画像がありますので、私のところの「小史」をご紹介させていただきます。
●「現役時代のSLのバック運転」に関する記述があります。キネマ旬報社刊「蒸気機関車」誌・昭和47年3月号・D51特集・「D51の性能(故久保田博氏ご執筆)」において、”テンダ機関車のバック運転時の速度はD51も含めて、すべての形式が毎時45キロに制限されている”とあります。今も昔もこれは変わっていないようですね。