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オリエント急行 竹倉 [1/3]
1988年12月4日
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ブルトレと富士山の写真で有名な三島-函南間の竹倉付近。今日ついに、富士山をバックに走るオリエント急行を見る!

EF6647 はやぶさ
■1988-12-4 三島-函南
EF6647「はやぶさ」。富士山、出てる? 列車が来ないときには頂上が見えたりしていましたが

私は海外の鉄道にはあまり興味がないので、しばしば伝説として語られる「オリエント急行」の名を聞いても「ふ〜ん」程度。

そのオリエント急行が日本にやってくるというニュースにも「あ、そう。どこで展示するの?」

いや、日本で走るんだよと言われても「へー、わざわざ線路敷くんだ。何百メートルを往復するんだ? それともエンドレスか?」

そうじゃなくてJR線を走って全国を回るんだよ

・ ・ ・ ・ ・     な ん だ と ー

そういえば1988年初から、やたらとオイラン車の運転があって、関連の通達にも「金町〜松戸間現場(○○k○○○m〜○○k○○○m)の快速線の軌道を、緩行線側に最大××mm移動する。架空電車線もこれに合わせて移動する」みたいな夜間工事が全国的に多発し、いったい何をやっているんだろうとは思っていました。

常磐線ではかつて、泉だか湯本だかの方で、隣接する線路上の列車同士が接触し、EF81(EF80か?)の側面に飛び出ている電暖灯を壊したオマヌケな事故があって、JR化を機に全部測り直しているのかと呑気に考えていましたが、いやはやオリエント急行の関連工事だったとは。(オリエント急行は車体が長いので、カーブですれ違う列車やホームがぶつからないように線路の位置を少し動かす工事をしていたわけです)

オリエント急行の運転期間は、1988年10月から12月下旬まで。もちろん初っぱなから撮影に行きました。私のファーストショットは渋谷駅の山手線ホームからで、いずれご紹介します(学校の試験期間中で早く帰れるのを良いことに、試験終了後そのまま直行したような。翌日も試験日だったかも知れませんが、そんなのはどうでも良かったです)。

そうやって地道に撮影通いするうちに、一枚の絵が私の頭の中に描かれていきました。それは富士山をバックに走るオリエント急行。よく東海道の上りブルトレの写真で見る、アノ構図を何としても決めたい。当時の学校は週休1日制で日曜日と祝日しか休みではありませんでしたから、日曜・祝日にオリエント急行が東海道を上ってくる日はないか・・・鉄道ダイヤ情報に載っている運行予定を、マルヨマークに注意しながら丹念に追っていくと・・・12月4日だ!

撮影場所は三島-函南間。鉄道雑誌に断片的に紹介されている情報をかき集めて総合すると、その場所へは三島駅からバスに乗って行くらしい、しかしバスは本数が非常に少ないらしい。今ならインターネットでバス会社の公式サイトを見たり、個人が開設しているwebやblogにズバリ答えが書いてあったりしますが、当時、見知らぬ土地で路線バスに乗るのは一大事。JTB時刻表なんかに掲載されているはずもなく、まずダイヤがわからない、何というバス停で降りるのかもハッキリしない、そもそも問い合わせしようにもどこのバス会社が運行しているのか、行ったはいいけど帰りのバスはあるんだろうかと、それはそれは不安だらけでした。

ところでそんな苦労を繰り返すうちに、東京で生まれ育った私も整理券方式のバスにはずいぶん慣れました。整理券というより、中扉や後ろ扉から乗るというのが、まず面食らうわけです。東京(区部)のバスは「前扉から乗り、運賃は全区間均一で前払い(整理券なんてものはなし)、中扉から降りる」もの。しかし全国的な視点で見ると、むしろ東京のバスが例外なんじゃないかと思い始めたのが、ちょうどこの頃でした。

EF665 ピギーパック
■1988-12-4 三島-函南
EF665 ピギーパック。雨はたまにポツリポツリと来る程度。富士山は見えているような、見えていないような

EF6643 富士
■1988-12-4 三島-函南
EF6643「富士」。実はそれまで使っていたミノルタSR-7が、もう高速シャッターがダメなので(1/1000secにセットしても、実際は1/125sec位しか切れてないんじゃないかと)、中古のXDを買ってまだ半月。走っている列車がピタッと止まって写るのは気持ち良いのですが、タイムラグが長いのには参った

さて、1988年12月4日(日曜日)、天気は微妙。東海道の下り普電は一番列車、いや次の165系(大垣夜行340Mの折り返し)に乗ったような気もしますが、もはや記憶にありません。自身初めて三島駅に降り立ち、いくつかあるバス乗り場をつぶさに見ていきます。キーワードは「玉沢口」行きに乗って「竹倉」で降りる。

どういう手順で見つけ、どういう段取りでバスに乗ったかは覚えていませんが、結論を言えば無事に乗れました。実際は「玉沢」行でしたけどね。鉄道雑誌の情報が少しだけ不正確だったのか、バス停の名前が変わったのか、それとも玉沢口-玉沢間が“延伸開業”していたのかは知る由も無し(バス停の名前から判断して部分廃止ということはないと思うが)。

20分か、もう少し乗ったかというところで車内のテープ放送が「つぎは、竹倉○○」。
 ・・・ うっ。降りるのは「竹倉」のはずだが、いま「竹倉なんとか」って言ったぞ。どうする!? バスの行き先だって「玉沢口」だと思っていたら「玉沢」だったじゃないか、降りてみようか、もし間違って手前のバス停で降りてしまったとしても、たかがバスの1〜2区間くらい歩けるだろう、でもどうせ歩くのなら線路と交差して行き過ぎてから戻った方がマシじゃないか、しかし長く乗って運賃が高くなってもバカらしいし、間違えるならやっぱり手前側の方がいいか・・・

と、降車ブザーを押しあぐねていたら、もう一人の鉄と思しき人が、やはり多少迷った風に手を伸ばして押しました。すると数少ない乗客の一人であるお婆ちゃんとバスの運ちゃんが「汽車の写真撮るならもう一個先だよ」。私もおこぼれに預かり、「竹倉○○」ではなく「竹倉」バス停に無事降り立つことが出来ました。ありがたや。

バス停で降りてまずしたことは、帰りのバスの時刻をメモること。本数少ねぇ・・・

(補足) ネットで検索したところ、現在、バスの運行会社は東海バス、「竹倉○○」は「竹倉中」というバス停のようです。三島駅から玉沢に向かう場合、まず「竹倉中」というバス停が先にあって、その次が「竹倉」になります。

三島駅 バス時刻表 (玉沢行)
竹倉 バス時刻表 (三島駅行)

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